母が来るというので、駅で待ち合わせをした。食べ物の好き嫌いが私より多いので、食事時はいつも疲れる。知り合いと食事をする場合、あまり食べ物にはこだわらず、静かに話ができるかどうかが重要になる。次に数時間粘ることができるかも選択肢の一つになる。何を食べるかよりも、何を話すかの方が大切なのだ。ところが母はそうでない。美味しいものを少しずつ食べる主義をずっと貫いている。一方私は質より量そして値段が判断材料になる。また、母の好きな話題はたいてい親戚のことや父の事だ。父の話題を出さないと終わらないので、最後の最後までとっておく。そして水戸黄門の印籠のように父の話題を切り出す。祖母との想い出は多いけれど、正直言って母との想い出はあまりない。ふと20年以上前の出来事を話すと、母はなぜそんな事を覚えているのかと怪訝そうな顔をした。20年前でも30年前でも、記憶の氷室で想い出がいつでも出番を待っている。