ある留学生からメールが来た。どうやら難解な古文に疲労困憊のようだ。明日までに提出とのことで、取りいそぎ文章を読んでみる。あたりさわりの無い文章だが、一体全体どのような文脈で書かれているのかさっぱり分からない。枕草子の何段なのか書いてないので、必死に探した。限られたフレーズで何度も検索にかけ、ようやく95段だと判明。原文を読み、大筋を掴んでからやさしい日本語に直す。彼が困っている内容は、実は難解な文章ではない。非常にオーソドックスな表現であり、内容だ。何に困ったかというと、複数の人間による言葉のやりとりとそれに伴う感情の交差に戸惑ったのだろう。ちょうどサリーアンのような誤信念課題をとくようなものだ。古文のような独特の表現、ひとつひとつに関わりすぎると、大筋を見誤る。それどころか、平安朝の言葉の迷路に紛れ込み、出られなくなるのが常だ。どうしたら迷子にならないで済むか、それは文脈を読みとる力にかかっている。それを別の言葉で表すと、想像力を働かす・・・と言うのだよ、Rくん。