春のセミナーで、Y先生が感覚遊びのグッズをいくつかslideで紹介された。視覚、触覚、口の触圧覚など、それぞれ工夫されている。子ペンギンが幼い頃、そのようなグッズは皆無だったと思う。好みがピンポイントという表現も的を射ている。何より時代の違いを感じたのは、子どもから感覚遊びを取り上げないことだった。それどころか、その子の必要な遊びの感覚を、リフレッシュのために積極的に用意すると述べられた。子ペンギンが療育センターのグループに参加した初日、いきなり保育士達の手荒な洗礼を受けた。その頃彼は噛むことが好きだった。緊張すると紙を丸めて、ガムのように噛んでいた。療育グループに初めて行く日、やはり紙を噛んでいた。それは仕方がないことだろうし、グループに慣れれば噛むことも減るだろうと思っていた。ところが、紙を噛んでいた子ペンギンを保育士たちが発見した。彼女らは子ペンギンの両脇を抱え、プレイルームにある洗面台にひきずっていった。そして子ペンギンの口に手を入れ、紙を吐き出させた。勝ち誇ったような保育士達を見て、これが療育というものなのかと唖然とした。様々な学識者から講演を聴き、研鑽しているはずの保育士がこの程度とは、目の前が暗くなる思いだった。学ばない保育士がいけないのか、教えられない学識者がさらに問題なのか、考えることより怒りを押さえるのに精一杯だった。私と療育との出会いは、最悪のパターンで始まった。その後3年間をスタッフとの闘いに明け暮れ、とうとうこの世界に入り込んでしまった。いつかこの悪循環を絶ちたいと思った。これを人はトラウマと呼ぶのだろうか。