数年前、我が家のお隣に双子の赤ちゃんが誕生した。
お互いに忙しく、挨拶以外話すこともなかった。一昨年だったが、偶然散歩から帰る親子に会った。少し立ち話をし、ときどきベランダづたいに聞こえる元気なお子さん達の声などから、最近の様子を聞かせてもらった。二卵性双生児だった女の子と男の子は、いつも口が達者でしっかり者の彼女に、男の子は歯が立たず泣かされていた。ご両親も転勤族だったので、近くに親類もいなかったようだ。お母さんはご近所のオバサンたちに子守を頼んだりして、上手に育児をしていた。女の子は子守されるのが平気なようで、男の子はいつもぐずっていた。お母さんは何かと男の子のほうが育てるのに気を遣うとこぼしていた。それから双子たちは幼稚園に入園し、お母さんも一息つく時間ができたようだった。ある夏の日、買い物の帰りにまたお会いした。話が弾んで、お茶に招待された。私の人生で初めての体験に、わくわくしたものだ。忙しい育児の合間に、彼女は地域で双生児の会を立ち上げていた。そして会長として、全国ネットの双生児の会につながったり、区の保健士や幼児教育関係者を招いて、話を聞く会も催していた。もちろん活動のメインは、毎週火曜日に集まり、子育ての悩みを語り合うことだった。それと同時に、いつも家にこもりがちな多胎児の親と子ども達に、一緒に遊ぶ場を設ける努力もしていた。その彼女が私に話してくれたのは、障碍をもつ双生児の親について、どう関わるかということだった。不妊治療の効果も上がり、双生児も生まれることが多くなったという。私も双生児の会に一時期招かれたが、大多数は二卵性双生児だった。そしてお母さん達の年齢も比較的高かった。子ども達に共通していたのは、屋内で遊ぶことが多いせいか、課題をこなす遊びが非常に上手かった。それでもお母さん達はいつも子ども達の発達を神経質なまでに気にかけていた。単胎児に比べれば、どうしても発育で多胎児の場合差が生じる。それをどう捉えるのか、母親の悩みは尽きなかったようだ。単胎児、多胎児、健常児、障碍児を同じ母子手帳の数値で比較するのは、無理があるのではないだろうか。数値に一喜一憂することの無意味さは、多胎児も障碍児も同じだと思う。