いつもより早くキャンパスに向かう途中、M先生に遭遇した。他大学に移られて以後、なぜか道の途中でお会いする。不思議だと思いながら、急いで留学生の発表会に向かった。Y先生、E先生には緊張しつつも挨拶をし、他の先生方には微笑んでごまかした。職食へのお誘いから逃げ切り、1人で学生食堂に向かった。迂闊にも、そこがどんなに騒がしいかを忘れていたのだ。午後は主治医に会う予定だったが、空いた時間に本を借りた。近々に買おうと思っていたマイケル・トマセロ著「心とことばの起源を探る」だ。原題は"THE CULTURAL ORIGINS OF HUMAN COGNITION"となっており、こちらの方が何を言いたいのか分かりやすい。Tomaselloは、あの有名なMax Planc研究所の所長で、言語を通して認知を研究する第一人者だ。特にMax Plancでは、子どもの言語習得に関わる認知なども研究しているようだ。自閉症の論文には、しばしばTomaselloの論文が引用されている。トマセロもサットマリも、論文よりも著書の方が読んでいて面白い。そんなことを頭の中でMixingしながら、主治医の所に行った。そして今日の話題はいつもの内容に加え、「RAMの中途半端さ」だった。私は何をやっても成就できないでいる。何かをし始めると、とことんやるのだが途中で方向がおかしくなる。それは私が自らの意志で方向転換をするのではなく、一生懸命にやった挙げ句にっちもさっちも行かなくなってしまうのだ。徹底的にやった結末として、第三者が予想外の反応をする。こつこつと積み上げた論理の積み木を、感情という予測しがたい力が一瞬のうちに壊してしまう。これは理不尽ではないのだろうか。