午後まで何かと忙しかったが、時間を見つけて図書館にこもった。疲れると1人になりたくなる。ハンズを探検するのも楽しいが、やはり書架の間を移動する喜びは格別だ。新刊があまりなく残念だったが、2冊借りた。ブライアン・バターワース著「なぜ数学が『得意な人』と『苦手な人』がいるのか」は、著名な認知神経心理学者による数の概念獲得に関する遺伝的考察だ。各章を細切れに読んでも、支障がないので読むことにした。もう1冊は、斉藤道雄著「悩む力-べてるの家の人びと」だ。ここまでは、いつもどうりだった。帰宅すると、何やら子ども達が落ち着かない様子だった。どうやら空腹も我慢の限界らしい。ところが食糧が底をついている。仕方なく調達すべく重い腰を上げると、つれあいが「一緒に行こうか」と言った。私は人と一緒に買い物をするのが嫌いだ。1人で計画通りにさっさと済ませたい。ときどき行く大型スーパーは、休日ともなると家族連れで食料品を買い込む光景をよく見かける。最短時間で最大の効率を求める私にとって、家族連れは障害物としか映らない。どうしてケチャップを買うのに、家族で議論し狭い通路を塞ぐのか理解に苦しむ。百歩譲ったとしても、なぜ毎回夫婦で同じことを繰り返すのだろう。役割分担をすれば、最小限のエネルギーと時間の浪費ですむだろうに。また、何を買うか決めずに来る人たちを見ていると、困惑してしまう。強調したいのは「通路を塞がないでほしい」の一言に尽きる。ショッピング・カートにクラクションがついていたら、短気な私は鳴らし続けるだろう。1人で十分できること、家族で分担することを整理すれば、無駄な声かけもせずに済むだろう。それとも一見はた迷惑と思える家族集団の行動が、本来のコミュニケーション形態なのだろうか。