午前中は良い母親として、子どもの卒業式に行った。
正午は数分間義母に電話をし、息子の良い配偶者を演じた。午後は大学で良い先生をした。
これだけ濃厚に人とコミュニケーションを図ると、とても疲れる。卒業式は何回目だろうか。先生達でさえ、「△番目のお子さんですか」と聞いてくる。すかさず「いえ、○番目です」と答える。保護者席で持参した本を読みふけり、ペットボトルのお茶を飲むと、随分自分が周囲から浮いていると感じた。何回出席しても、代わり映えのしない卒業式だった。面白かったのは、卒業生ではなく、教師が羽織り・袴姿で入場したことだろうか。いつから成人式になったのだろう。女性の先生達は、定番の着物と袴だった。先生の卒業式なのだろうかと雑念を巡らせた。1時間半あまりの退屈な時間を、貴重な睡眠時間の補給に使った。東京育ちの義母には、東京の言葉で話す。そつなく、さりげなく、よどみなく応答するのは、至難の業だ。そして留学生には、丁寧語で話す。丁寧語から始まり、日常会話になり、Brokenな言葉も入れていく。社会にでたとき、どの階層の人たちともコミュニケーションを図れるようにするためだ。しかし、今日私が使った言葉は、いつも私とわたしが使う言葉ではない。どうにもならない違和感をそのまま記憶するのは、とてもつらい。そんな時、好きな音楽を聴く。日本語ではないものを選ぶ。文法の規則性と疲れを混ぜてしまう。甘い砂糖で苦い記憶をCoatingするように。