ホモサピエンスがラテン語で、「知恵のある人間」という意味であるのはよく知られている。それに対して、ホモルーデンスという概念を用いたのは、ホイジンガだった。それは「遊ぶ人間」という意味だ。小学校に入学しても、私はいつも遊んでいた。
教室から抜け出すわけではなく、騒いで授業を乱すわけでもなかった。たださまざまな事柄が不思議でしかたがなかったのだ。1年生の時に書いた作文が新聞社のコンクールに入選した。文章が上手かったかというと、実は文章を作る段階で躓いていた。その頃、授業についてゆけない生徒は、放課後に残された。ある時私も残された記憶がある。1回目は「こくご」だった。「わたしは」と書かないで、いつも「わたしわ」と書いていた。どうしてそうなるのか理由が分からなかったので、そのまま書き続けたために居残りとなった。居残りをしても、毎日私は「は」の代わりに「わ」を書き続けた。先生は毎日躊躇いもなく私を含め数人を居残りにした。あれはたしか居残りを始めて5日目ぐらいだったと思う。「わ」と書かずに「は」と書けば、家に帰って遊べるのではないかとひらめいた。そして「わたしは」と書いて、ようやく解放された。2回目の居残りは「りか」だった。鏡を見て左右対称を答えられなかった。なぜ鏡の向こうの私が、鏡の前にいる私と反対の腕をあげるのかが理解できなかった。その居残りは数日間続いたが、とうとう先生は諦めたのか、私を解放してくれた。その時喜んで日々遊んでいた私は、その「わからなさ」が以後学年が上がるに付け混乱の元になるとは知るよしもなかった。高校の体育で、行進を練習させられた。「右向け右」から始まり「回れ右」など軸足をどのように動かしてよいのか混乱し、人の動きを見てから自分も動いていた。その「わからなさ」は大学に入ると忘却の彼方に行った。しかし、子ペンギンの出現が、時を超えて私に苦い思い出を体感させてくれた。