人と話すとき、相手の目を見なければならないとは、外国語を学ぶまで気が付かなかった。それがマナーだと覚えたので、外国人と話すときは、努めて相手の視線を追った。ところが、
それは日本人にも同じ事だとは、子ペンギンの障碍を知るまで全く気づかないまま年を重ねた。今でも、かなり意識をしないと相手の目など見て話さない。会話の流れに気をとられて、それどころではなくなってしまう。ふと我にかえり、慌てて相手の目を見たりする。親しい人、家族、主治医は、すべて目など見ないで話せる人たちだ。目を見て話すなど、かえって不自然だと感じる。子ペンギンは徹底的に相手の目を見ない。しかし家族には目線を合わせる。私に話しかける時、ふと彼を見ると、私にeye contactをしている。自閉症児がeye contactをとれないとか、eye directionがTDと違うなど、限られたdataで決められるのは、はなはだ自閉症児に対して失礼だと思う。視線がどうであろうと、自閉症児が快適に過ごせればそれでよいのではないだろうか。様々な条件下で実験すれば、TDの視線さえ一定ではないと分かるだろう。視線を合わせるのが苦手でも、言葉などで補えばcommunicationに支障はないと思う。少なくとも、
その気もないのに相手の目をじっと見て、“Te amo”と嘯くよりは。