子ペンギンは「やり・もらい文」が苦手だ。自閉症児だけでなく、少し日本語になれた留学生も同じ経験をする。文章を読めても、内容の把握が出来ない。話すほどに分かっていないように、読むほどに分かっていない。そんな時には簡単な絵を描く。線画だが、人と人の関係、その間を物がどのように動いたのかを示すと分かってくれる。論理的に解釈しようとすればするほど、日本語は手に負えない言語だと実感する。雑雑と考えながら、また図書館で本を借りた。今週も乱読気味だ。庄井良信著「フィンランドに学ぶ教育と学力」、阿保順子著「メディアと精神科医」その他発達障碍関連の本を数冊。日曜日に後輩と食事をしたあと、三省堂で見つけた京都ひきこもりと不登校の家族会・ノンラベル著「どう関わる? 思春期・青年期のアスペルガー障害」は分かりやすい文章だった。中でも第4章「アスペルガー障害の世界を知る」は、的を得ていると思う。いくつもの音源から発信される音を同時に聞くと述べてあった。なるほど、そういう認知の仕方もあるのだろう。私はその反対に、一つの音源から聞こえる音を、いくつかにバラバラにして聞く。ある曲を聴くとき、楽器ごとにメロディーを追う。ピアノの伴奏・ベースの音、主旋律とどう関わるのか分析するのが楽しい。主旋律を聴きながら、ある楽器の奏でるメロディーを追うのも面白い。「てにをは」を抜いた日本語のようだ。