子ペンギンは幼稚園を毎年変わった。今ほど自閉症の知識もなかった母ペンギンが、試行錯誤した結果だった。年少は私立幼稚園、年中で公立幼稚園、年長で障碍児保育指定園である私立保育園という保育難民であった。療育にも通ったが、心理士にどこの園で適切な保育をうけられるか尋ねても、「特定の園を教えられません。幼稚園の営業妨害と思われますから」という返事が毎回かえってきたものだ。療育センターの廊下で、すれ違いざまに「孟母三遷」と忠告されたこともあった。そんな時代もあったのだと、とても思えないのがトラウマたる所以だ。
子ペンギンが一番混乱したのは、自由保育を標榜する公立幼稚園だった。今なら絶対に選択しないだろう。年長で通った保育園は、1学年9人という恵まれた環境だった。そのために毎日地下鉄通園を余儀なくされたのだが。試行錯誤の産物として、子ペンギンが持ち物を識別するのに困らないよう、彼の顔写真で大・中・小各サイズのシールを作り、全ての持ち物に貼った。
しかし、もっと必要なことは、場面や課題の認知を促すことだったと思う。